
京都らしい場所に、子供達を連れて行きました。彼らにはまだ始めての土地なので京都らしい所に立ち寄りました。
お盆は様々な過ごし方がありますが、先日の朝日新聞には、語りつぐ戦争と題して、様々な体験が語られていましたね。
脱落して一人歩いた靖国街道、として88歳の方は、ミャンマーからタイのバンコクまで1500キロを歩いて退却した思い出を振り返っています。2千メートル級の山岳地帯を食料品や物質の補給皆無で、病気と戦いながら、草むらに足場もなく下痢と命を落とした日本兵の遺体あるなか、バンコクの駅まで到着しても1人の戦友も見つけることができなかったこと。
96歳の方は、配属された部隊が快進撃で、当時はイギリス領だったシンガポールを占領しとき、ひと段落したと思ったら病人がバタバタと出始め、軍曹までも赤痢となり、隔離した状況で激痛に絶えかね助けを求められた状況でも、感染を避け誰も近寄らなかったなか、勇気を出して介抱したこと。しかし、3日後に28歳で亡くなった軍曹の、手帳すら焼却させられ住所不明。ご遺族に報告すら出来ず一生悩むと。
76歳の方は玉音放送について、当時の日本が敗戦する事は想像もしない内容の放送番組について、大方が広島や長崎の新型爆弾に大和魂で対抗せよとの激励の言葉、皇室の備蓄米が下賜されると期待させる放送や、日本軍が米の裏をかいてアメリカ本土に、上陸した事を、告げる放送だの常に輝かしい内容ばかりで我が国の損害は常に軽微だから、多くの都市が空襲て無差別破壊されていたその頃でも日本艦隊は無傷でどこかに温存されていると臣民は信じていたと。軍部と一体となって国民を欺き抜いたジャーナリズムの力を今でも恐ろしいと思うと。
遠足を行軍と呼ぶ教育など、ほんの少し前の歴史。
こうした経験はとても貴重なことですね。言葉で語りつぐ紙面に、とても深く何かが突き刺さりました。
しかし、京都で立ち寄らせて頂いた烏丸の誉田屋源兵衛さんとのお話で、私ももう一度、弥生時代くらいから日本の歴史などわお勉強する事にいたしました。
また、報告しますね。
サイモン